情報の流し方

こんにちは。

こちらの記事の続きです。

※今回の記事は農村開発に携わる方(特に現場の中に入る方)向けの記事です。このブログも色んな方に目を通して貰って頂けているようなので、本来の目的である事業の広報とは微妙に異なる記事ですが書いておきます。

 

農村部で人を繋げたあとの情報を流していくやり方について、私の経験から主に失敗経験の方を載せておきます。

なお成功例はワークショップ(講習会)/ミーティング(会合)/クッキングデモ(調理実習)といった、参加者の協働作業を取り入れた取り組みをしていくと、自然と関係を築いて情報共有が活発になりました。(農家さんによると一緒に話しながらお昼を食べたのも良かったそうです)あとは、教会に決まった曜日に集まるので、教会関係者にお願いしてその場で広報して貰うのはこちらでの定番なやり方ですし、あとは信頼できる人(特に若者)にお願いして、口伝をして貰うのも良いやり方だと思います。

 

ただ、そうなるとそういった場に出てこれない人達には、なかなか情報が回らないと考え、活動参加者以外に対して村の中で情報発信を試みました。下の取り組みは参考例ですが「私の場合は失敗」しました。でも、他の場所では条件が異なるのでひょっとしたら上手くいくかもしれません。どうして失敗したか自分なりの考察も(恥ずかしいですが)併せて載せておきますので、良かったら参考にして頂ければこの記事を書く甲斐があります。

 

_麝板

「村の中に住んでいる人全員に情報を流したい時に、日本の回覧板のような仕組みを作ったらどうなるか?」という取り組みを実施したことがあります。結論から言うと上手くいかなかったです。

 

上手くいかなかった理由としては、

α.字が読めなくて書いてある内容が理解できなかった

β.村の中で話されている現地語が複数あった

γ.回覧板が回らなかった

の3つが大きな理由でしょうか。

 

α.字が読めなくて書いてある内容が理解できなかった

小学校を中退した字が読めない農家さんもいるので、そういう人達には情報が伝わりませんでした。読める人(例えば子供とか)に聞いて貰えれば良いのかなと思ったのですが、何故か読める人に尋ねなかったです。「何故か」という風に書いているのは、私が理由を聞いても答えをはぐらかしてきたからです。その時何となく思ったのは、「字が読めないというのが恥ずかしい/他の人に知られたくない/自分の面子を潰したくない」といった印象を持ちました。

 

β.複数の現地語に対応出来なかった

ザンビアには73の部族と部族ごとの言葉があると言われています。つまり部族ごとに言語が違う訳ですが、首都ルサカ周辺だと色々な場所から人が来ていることもあって、村の中で話されている言語が複数あります。実際に活動中に耳に入ってくるのは、代表的なものだけでもニャンジャ・トンガ・ベンバ・ロジ・ソリ(イラ)・レンジェ…これに加えて英語です。このように複数の言語が村の中で日常的に使われているので、仮に現地語のニャンジャ語で文章を書いたとしても、人によっては読めないという事が普通にあります。全員が読めるように資料を作ろうとすると、複数言語で文章を作る必要が出てきて色々と苦労します。(書いた文章のチェックも含めると手間がかかり過ぎて大変になる事が想定されました)

 

γ.回覧板が回らなかった

これは村によりますが、人によっては隣の家まで500m〜1劼らい離れているところに住んでいる家族がいます。中には体を悪くしている人とかもいるので、物理的に回覧板を運ぶのが難しかったりします。あと、回覧板が途中で無くなったこともあります。ちなみに、その時はどこで無くなったのか聞いても教えてくれなかったし、当然何故無くなったかも分かりませんでした。(いくつか理由は推測できますが、ここでは敢えて書きません)

 

掲示板

では、村の中心部に掲示板のように張り紙をしたらどうかということで、張り紙をしたことがあります。でも上手くいきませんでした。上記の「α.字が読めない」と「β.現地語に対応出来なかった」も理由としてはあげられるかもしれませんが、そこに至る以前で失敗しました。

 

α.剥がされた。

強風が剥がしていったのか、はたまた誰かが剥がして持って行ったのか、例えば子供が剥がして遊んだのかは分かりませんが、最短で貼った翌日に無くなっていました。中心部で誰もが目にする場所がゆえに、目立つためにこうなったのかなと自問自答しましたが、最後まで答えは分かりませんでした。もちろん、誰かに聞いても「分からない」という答えが返ってきただけです。

 

β.見られていなかった

村によっては端から端まで7劼箸10卍度あって、生活道路も複数あって東と西の居住者が会う事は稀なようです。中心部と聞いて使った場所も村長さんの家の側で、「みんな見るから大丈夫だよ」と言われたものの、実際には端に住んでいる人達は中心部に滅諦に行かないので見ていなかったです。複数枚貼れば良いのではないか?と思われた方は恐らく正解なのですが、その当時の私の交通手段が徒歩だったことから貼って回るのは難しかったです。誰かに頼むのも手だったかもしれませんが、その当時は出来ませんでした。

 

7搬單渡辰SMS(ショートメッセージサービス:短文を送れる機能)

今やほとんどの農家さんが携帯電話を持っています。その文明の利器を使って連絡を回す事もやったことがありますが、電波届かないところに住んでいる人達がいたり、電話の電池が切れて充電出来なくてメッセージを受け取れなかった人達がいたりして、こちらも上手くいきませんでした。そもそも活動に来たことが無い人だと電話番号が分からないケースがあって難しかったです。あと、自分の電話番号を農家さんに教えたあとに、曜日や昼夜を問わずに自分が捌き切れない量の御挨拶や御願いが来たことがあったので、あまり農家さんに電話番号を教えるのは良くないのかなという風になりました。でも、大丈夫な人なら大丈夫だと思います。

 

 

こんな感じでした。

何かの参考になれば幸いです。

 

 

実りの季節と視察

こんにちは。

 

前回の記事に引き続き、12月に派遣した3名の視察の模様と収穫物の写真を御紹介致します。

この日はG村の農家さん達のお願いして、プロジェクトで学んだ活動の実践について紹介して貰いました。

 

乾燥野菜を紹介してくれた農家さん(左の男性)とその奥さん(左手前の女性)です。彼らはプロジェクトの活動に良く参加してくれいて、例えばブロイラー飼養グループに参加しているのですが、その後自分の家でも始めて400羽飼養している猛者です。さらに、大豆生産も落花生生産も真剣に取り組んでくれました。一つ心配なのは、男性の方が病気がちなのですが、それにも関わらず点滴を打って活動に参加してくれることがあります。家で休んだ方が良いと何度もお願いしましたが、色々と学べるのが楽しいから参加させてと言われ、無理のない範囲で来て貰っています。

 

この農家さん(中央ボーダー柄シャツの女性)はトマトやプロジェクトで紹介したレシピを使って調理してくれました。トマトは一般的かつ代表的な野菜なので、どの家庭でも生産しているのですが中には育てた事が無い農家さんもいます。この農家さんはその中の一人で、育てたトマトを持って来てくれました。

 

こちらの農家さん(バケツを持っている男性)は、恐らくプロジェクトの活動に参加した農家の中で、最も機会を活かしてくれた方だと思います。いつもご夫婦で参加してくれていましたが、一昨年たまねぎ生産に初めて取り組んで2500クワチャ(2万5千円)の利益を上げ、今年はさらに面積を拡大して4500クワチャ(4万5千円)程度収入を得たそうです。他にもバケツの中に入っているのはニンニクで、3つのニンニクから20数個のニンニクに増やし、今後も増やしていくそうです。

 

バケツの中はこんな感じです。

 

これは作り方を教えた堆肥で、上の写真の農家さんの隣に住んでいる農家さんが持って来てくれました。彼は上の写真の農家さんの取り組みを横目で見てから、プロジェクトの活動に良く参加してくれるようになりました。そういう繋がりで参加者が増えていくのは好ましい事なので良く覚えています。

 

ピーマンときゅうりを持って来てくれた農家さんです。彼女の家から会場までは5勸摸イ譴討い(G村の方では近隣にお住いの方です)、歩いて一時間以上の距離を一輪車を押して参加してくれました。ピーマンはプロジェクトの活動で生産した物、キュウリは彼女自身の生産物です。帰るときに全部売れていたみたいで、喜んだ顔が見れて良かったです。

 

あとは、乾燥マンゴーとか

 

乾燥野菜とかも作って持って来てくれました。

 

最後に3名から総評を頂いて終わりました。

実は、この3名のうちの2名は2年前にG村にお連れしたのですが、その時の参加者は時間通りに来ていたのが2人だけで、2時間たってようやく20人が集まりました。この日は、時間通りに20名以上が集まっていて最終的に40名弱となり、さらに出迎えも展示もしっかりされていて、活動のみならずそういった部分の変わりようにも驚いていました。